電撃文庫はすごかった2

電撃文庫の特徴は多様性を受け入れられるところにあると思います。それは編集者も意識しているところでセールスポイントのひとつであります。そして、そこに電撃文庫全盛期の秘密があると思います。
電撃文庫の中で高畑京一郎という作家の存在はそれを証明しているひとつの要素であると思います。まず彼の作品は最新作の「H2O」以外は上下巻もしくは一巻完結のスタイルでした。シリーズ物が基本のライトノベルの中ではあまり無いことです。起承転結のしっかりしたストーリーで、キャラクターを遊ばせることなく、物語を進めていくスタイルを取っているので自然とそういう結果につながるのでしょう。
そして、彼の作品のひとつ「タイム・リープ」は人気も高く映像化されたのですがアニメではなく実写映画でした。なんてことのないことなのかも知れませんが自分の中では注目されるべき事件だと思います。
そもそもライトノベルはアニメ、漫画的な小説のことを指すというのが自分の認識です。だから表紙、挿絵はアニメチックな絵な分けですし、アニメのシナリオライターが作品を提供することも多いし、アニメをライトノベルレーベルでノベライズする形も多く見受けられるのです。
そうなると当然ライトノベルの映像化はアニメなのが自然なのです。
しかし、「タイムリープ」は実写で映像化された。このことが意味するのはアニメ的でない作品ということ、つまりライトノベル的ではない作品だったと結論づけることができるのです。
タイム・リープ」の中にこんな台詞があります
「これでも俺は、タイムトラベルものの本は結構読んでいてね。ラベンダーの臭いを嗅ぐ奴も、車に乗る奴も、猫が扉を探す奴も、たいていのは知ってる」
ここで言われてるラベンダーの臭いを嗅ぐ奴は「時をかける少女」車に乗るのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、猫が扉を探すのは「夏への扉」のことを指しているのですが、これはいずれもジョブナイル的な作品だと言って良いでしょう。
作者が台詞の中でこれらの作品を連想させるような言葉を使ったのは読者がそれを理解できると思ったからだといえます。つまり、アニメ、漫画からの流れで来た読者がターゲットなのではなく、ジョブナイルを好む人達を読者として想定して書いたのではないかと思うのです。
考え過ぎかも知れませんが、自分の中ではそういった意味でもライトノベル的ではない作品だと確信しています。
そして、こうした作品を受け入れる懐の深さが電撃文庫の魅力なのです。