共感出来ないキャラを描けるすごさ

 一つ前のエントリーと流れ的にすんなり来るかと思い、以前mixiに書いたブラックラグーンのアニメ版の感想を転載します。3期の制作も決まったみたいだしちょうといいかと。
以下転載


ブラックラグーンを観ました。
仰々しくてくさい台詞回しに、いかにもな展開。
ぶちぎれたクレイジーな女ガンマンに、中途半端な元サラリーマン。
一昔前のハリウッドアクション映画を観ているような気分にさせられます。

結論から言っちゃえば名作だよね。
マッドハウスは良い仕事します。

この作品のやばいところは、視聴者が感情移入をしかけたところでそのキャラがあっけなく殺されるところ。
TRIGUNであんなに人を殺さないガンマンをかっこよく描いたくせに、この作品ではバスバス人が死にます。
その描き方もあっさりした物です。まるで人間という生き物をあざ笑うようです。

でも、この作品の舞台、ロアナブラはそういう場所なんです。
命が重いのか軽いのか、小生にはよく分かりませんが、少なくともここロアナブラでは命は安い。

しばしば主人公の故郷、東京の風景が描写されたり、物語後半では高校生の女の子の日常の描写があったりするのですが、その時の小生の感想は「なんだ?このおめでたい国は?異世界か?幻か?」

それだけロアナブラという場所は、小生達の日常とかけ離れているのです。
そして、命が軽くて、誰もが頭のネジぶっ飛んでて、血だまりと反吐にまみれたそんなルアナブラの日常がいつの間にか魅力的な物に思えてくるのです。

しかし、この作品取りあえずどのキャラクターにも共感できません。
とんでもない非日常を味わった後、日常に戻れるにもかかわらず非日常を選んぶ神経が分かりません。
くそみてえなどぶの中で生きてきて、自分はもう死んだ人間だと本気で考え、なにものも恐れず笑いながら人を殺す頭の構造が理解できません。
彼ら以外にも小生の脳みそでは理解できない、なんとか理解できても共感は絶対にできない、ぶっ飛んだキャラクターばっかりです。

でもそれが凄い。

普通に日本で生きてきたら理解できない、共感できないキャラを描けてしまう、作り出せてしまう。
なんで自分たちと全く異なる世界に生まれてきた人たちの脳味噌の中身が創造できるんだ?

自分たちが過ごしてる世界には存在しない、つまり自分の価値観や、身の回りの人間達をモデルとして作ることができないキャラクター達。それらを嘘くささを出さず、しっかりとデザインしている。

彼らみたいな人間が実際にいるか?現実味あるか?
といわれたら疑問もあります。
しかし、彼らは少なくとも物語の中ではリアリティーを持って生々しく存在する。
張りぼてではなくしっかりと生きていて歴史がある。
少なくとも魅力的キャラクターに仕上がっていることは確かだす。

そして、もっと凄いのが、そんな彼らの価値観、生き方それをテーマとして描いてることだす。
自分たちの日常と遙かかけ離れているやつらの抱えてる問題を描く。
いやいやこれはもう想像力及び創造力が有りすぎだよ。

自分が過ごしてる世界の延長線上、自分のパーソナリティー、自分の所属する社会のこと描くのも良いけどやっぱりエンターテイメントは非日常を描いて欲しいよね。

さらに非日常で、日常に存在し得る問題描くのもそれはそれでいいけどさ。

読んでも、観ても全くためにならない物語。
自分と違う場所で、自分が一生考えもしないようなことを悩んでる主人公。
そういうのもさ、やっぱり作れるの凄いと思うし面白いじゃない。

 誤字脱字もあえてそのままにしました。これを書いたのは2007年の2月です。
 追記すると、日常に絶対存在しない存在を描くと共に、彼等の価値観の違いによる激突も描いてますよね。ロックとレヴィはめちゃくちゃ揉めますし。
 小説版では、極道として生きる張維新とマフィアでありながらも軍人として生きようとするバラライカのやりとりは生き様の違いが浮き彫りになって面白かったです。
 ブラックラグーン三期に期待しましょう。